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だまされた責任の負い方

2012.08.22 21:54|脱原発
 元映画監督の伊丹万作の「戦争責任者の問題」というエッセイが、3・11以後の今、あらためて注目を集めているらしい。
 8月12日付け朝日新聞朝刊社会面の「だまされる罪 向き合う」というタイトルの記事は、<だますものだけでは戦争は起らない><だまされるということもまた一つの罪><日本人全体が夢中でだまし、だまされあった。自己反省がなければ過ちを繰り返す>という伊丹の言葉を引きながら、それを311以後の現実と重ね合わせたというフリーライターの吉村栄一氏や、ともに脱原発イベントなどに取り組む音楽家の坂本龍一氏の活動を伝えている。また、翻訳家の池田佳代子氏の「伊丹の予言は当たった」と言うブログ記事も紹介している。

 これに対して、「無名の一勤労者」を自称するブロガー深沢明人氏の「騙されたという言い逃れ」がBLOGOSに転載され、賛否のコメント書き込みが続いている(http://.tl/lat6)
 深沢氏の論旨は、朝日の記事や池田佳代子氏の意見は、伊丹の言葉の戦争を原発事故と置き換えて教訓とし、二度と騙されてはいけない、という文脈でとらえているが、伊丹のエッセイの主眼はそうではなく、「今まで騙されていた」と、騙した犯人探しや責任追及に懸命になることで、実は騙された自らの主体の薄弱さなど「騙された罪」に向き合わず責任を回避する安易な姿勢をこそ批判しているのであり、『私には、自らの責任を顧みず(あるいは自らの責任を免れるために?)この当時戦争責任の追及にいそしんだ人々と、こんにち脱原発運動に興じる人々がダブって見える。』と、311以後怒りの声をあげる人々に批判の矢を浴びせるのである。

 伊丹のエッセイの論旨を紐解けば深沢氏の言うとおりなのであろう。
 しかし、そのことをもって今、原発を許してきたことの誤りに気づき、脱原発を求めて声を上げる人々を「脱原発運動に興じる人々」と揶揄し、「当時戦争責任の追及にいそしんだ人々」と同列視する氏の論は、根本的な状況の違いを見逃しており、生きた現実と向き合わない「書斎の文人」の評論といわざるを得ない。
 深沢氏が見逃しているのは次の単純明快な事実である。
 伊丹の論は既に戦争が終わった後の議論であるが、今、フクシマは終わってもいないし原発も核燃料サイクルも止まっていない、老朽化と巨大地震や巨大津波の危険際が一層叫ばれる中でろくな検証もなまま原発が現に動いているという事実である。
 伊丹が、騙されたことに気づいた時にはすでに戦争は終わっており、責任追及より、騙されたと同時に騙してもいた自らの内面を掘り下げることの方が大事だと、ゆっくり思索にふけることができた。
 しかし、今まだ愚かな「戦争」が続いており、まだ騙し続けようとする勢力がのさばっている時に、騙されたと気づいた者の取るべき道は、一刻も早く「戦争」をやめろ!と声をあげることであり、それが「騙され騙した罪」を真摯に償い、二度と騙されない主体を実践によって確立していくことではないか。それは、書斎で静かに「脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めること」以上に勇気を要する厳しい道でもあるはずだ。

 深沢氏は、「以前は当然のように原発を支持し、事故後はこれはいかんと転向した」「原発の危険性を訴える声はあった。だが、まさかそんなことにはならないだろうと、わが国の技術力を信じて、たかをくくっていた」「彼らの責任を問う声は強い。しかし、私はそれに与する気にはなれない。私もまた原発を支持したのだ(しかも戦時中のように言論統制がなされていたわけでもないのに)。その責任は負わなければならない」と言う。
 失礼を省みず言わせていただくなら、そうして机に向かって字面を追い、自らの責任について思考を捏ね繰り回している間に第2のフクシマが起こったなら、「まさか再びそんなことが起こるとは思っていなかった」と一層深く反省の日々を送られるのでだろうか?
 生きて動いている現実と向き合い、「彼ら」の責任追及のためではなく、自らの責任を負うために、ぜひ官邸前で(あるいは他のどのような手段であれ)誰よりも大きな声で「これはいかん」という思いを表明していただきたいと願っている。

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コメント

コメントいただきました

 はじめまして。
 読ませていただきました。

>今まだ愚かな「戦争」が続いており、まだ騙し続けようとする勢力がのさばっている時に、騙されたと気づいた者の取るべき道は、一刻も早く「戦争」をやめろ!と声をあげることであり

 記事中でも述べましたが、私は自分が「だまされた」などとは思っていません。
 そして、将来的には脱原発を図るべきだと転向しましたが、即時に原発の運転を0にすべきだとも思っていません。大飯原発の再稼働には賛成です。
 他の原発の運転を0にしようがしまいがフクシマの状況に変わりはありません。原発は戦争ではありません。

>それが「騙され騙した罪」を真摯に償い、二度と騙されない主体を実践によって確立していくことではないか。

 そうではないと思います。
 原発事故が起こったからといって、だから原発は即時全面廃止と急旋回し、それに従わない者をまるで国賊であるかのように罵るのは、原発安全神話に囚われていたのを裏返しにしただけで、本質は変わらないように思います。
 必要なのは、どういう選択がベストなのか、さまざまな可能性の中から検証する作業でしょう。それを、始めに結論ありきで、とにかく今すぐ0にすればいい、それでどんな弊害が起ころうがそんな細かいことは政治家や官僚や電力会社が考えればいいんだというのでは、あの戦争で中国や米国に対して無責任に強硬論をぶった国民と何も変わらないように思います。

コメントありがとうございます

深沢さま、返信コメントありがとうございます。

>それに従わない者をまるで国賊であるかのように罵るのは、原発安全神話に囚われていたのを裏返しにしただけで、本質は変わらないように思います。

この部分はおっしゃる通りで、そういう直情的な反応が起きている側面は否定しませんし、好ましいとも思いません。ただ、今まで原発の真相を考えたことも関心を寄せたこともなかった人がフクシマの衝撃で一気に信じがたい実情を知った時に、そのような反応をするのは無理からぬところだと思います。


>必要なのは、どういう選択がベストなのか、さまざまな可能性の中から検証する作業でしょう。

そのとおりです。真剣に脱原発をかんがえ、訴えてきた人たちやNGOは、きちんと認識しています。ちなみに、推進論者や擁護論者が表向き唱える論拠は多くは根拠がないデマゴギーでもありますので、そこはしっかり見抜きながら、本当のネックは何であり、それを克服するには何が必用か・・と言うことです。

>それを、始めに結論ありきで、とにかく今すぐ0にすればいい、それでどんな弊害が起ころうがそんな細かいことは政治家や官僚や電力会社が考えればいいんだというのでは、

少なくとも私は、そして官邸前行動などの軸になっている人たちも、それほど浅はかではありません。そんな風に思われていて「脱原発運動に興じる人々」という言葉になったのでしたらぜひ認識を改めていただければと思います。

なお、「大飯再稼働には賛成」と言われますが、いささか安易な判断ではないかと思います。政府が言った「安全性の確認」「電力需要の必要性」が実際にどう確認されたのか・・と言う点を真摯に検証していただければ、少なくとも福島事故の検証どころか国会事故調報告の前に、駆け込み的に再稼働するという姿勢が、フクシマを真剣に受け止める姿勢とはほどとおいことはお分かりいただけると思います。

私自身は、可能な限り早期の原発ゼロを目指しながらも、短期的には一部の原発を稼働させることを全面否定はしませんが。大飯再稼働の可否についても「どういう選択がベストなのか、さまざまな可能性の中から検証する」なら、事故検証も、事故で露呈した安全基準や防災対策、断層問題など根本的な再点検など、なにひとつないままの再稼働がという選択はあり得なかったと思います。

過度に直情的な決めつけや敵対的な議論ではなく、冷静かつ建設的な議論が進むためには、私たちの側も留意すべきですが、それ以上に推進・擁護側が、本音で、まじめに情報を出して対話に臨むことが必要です。しかし、電力会社、経済団体などは、未だにその姿勢は全くありません。
先日、神戸で開催した国家戦略室職員との対話では、時間不足ではありましたが、そういう意味での対話の入り口に立つことはできたと感じました。

以上、長くなりましたが、こんごともお互いにこの問題と真剣に向き合いましょう。
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